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先日、インドネシア・ジョグジャカルタへ旅行してボロブドゥール遺跡を訪れました。

2012年にカンボジアのアンコールワットを訪れ、私の一人旅は幕を開けましたが

遂に三大仏教遺跡を全て訪れることができました。

ボロブドゥール遺跡から望む朝日。

ジョグジャカルタには世界遺産に登録された遺跡が2つ、存在しどちらもかなりおススメ。

◇仏教遺跡ボロブドゥール遺跡

18世紀、シンガポール建国者ラッフルズが密林に隠れた巨大な仏塔を発見するまで、

約1,000年もの間ジャワ島の仏教聖地として静かに佇んでいたとか。

きっとジャワの人々も、発見したラッフルズも、この遺跡に描かれた欲界・色界・無色界の彫刻それぞれを眺めていたんだろうと思う。

何世紀も昔の人々も、きっとこの遺跡から朝日を眺め、

精神世界に想いを馳せいていたのでしょう。


◇ヒンドゥー教遺跡プランバナン寺院群

近代史以前から交易の中心として栄えたジャワ島には9世紀頃からヒンドゥー教が広まり、

ジョグジャカルタにもインドネシア建築の傑作とも言われるプランバナン寺院が造られました。

複数の寺院群で形成されるこの宗教遺跡は、シヴァ神捧ぐ聖地であるとともに、

当時の若き貴族と美しいお姫様の愛憎に満ちた場所です。


<後 記>

学生時代はお金がなくて海外旅行なんて殆ど行けなかった。

今は毎日生きるために必死だし、裕福な暮らしができているわけじゃないけど

漸くこうして世界を拡げられるようになった。

そういう意味で、これまでの10年は大きな変化のある期間だった。

この先10年で、自分はどこまで到達できるのか、どこに向かっていくのか。

それが上昇基調だろうが、下降基調だろうが人生を豊かに楽しみたい。

どうも。

久しぶりに仕事について書きます。

  • 「いつも休みが取れない」
  • 「給料が上がらない」
  • 「残業が減らない」
  • 「周りからのフォローが足りない」

このような悩みを抱えている人、多いんじゃないでしょうか?

私もその一人ですが、このような現状を打破するべく取り組んでいることを紹介します。


① 同期と比較してずば抜けて優秀になる or 評価を得る

「権利を主張するためには、まず義務を果たせ」ブラックだ!

と思われるかもしれませんが、これが真実だと思います。

あたなは部下が「仕事はやり切れてませんが、一週間休みます」と

言ってきたらどう思うでしょうか?

「相手に言い返されないくらい成果を出しておく」ことが大事です。

正直、仕事に終わりはないので「周りに優秀だと思わせる」「優秀な評価をもらう」ことがポイントです。

誰だって優秀な人材には逃げられたくないから、大切にしますから笑

*大切にする ≠ 適切な負荷を与えられる

どれくらいずば抜ければいいかって?

僕は同期トップは当然、何世代か上の先輩方をごぼう抜きするくらい成績出しましたよ。

ここまで到達するには本当にツラかった。。。今でも辛いけど。。。


② 社内(できるだけ上役)に味方を作る

①ができた人には比較的簡単ではないでしょうか??

人って不思議で、初めて一緒に仕事するのに「前評判がいい人」

には評価が甘くなるですよね~。

勿論当人に甘えが見えたり、出来の悪すぎる仕事は話になりませんが、

優秀な人が一生懸命やってできなければ教えたくなるし、

優秀な人が並の出来で仕事をしても「やっぱりソツないね」となるし。

だから①はとっても重要です。

で、②が必要な理由はお分かりの通り、「困ったときの援護射撃をもらう」ためです。

実は僕、味方を作るのが劇的にへたくそです。

理由は何でも噛付いてしまうから。。。。しかも最悪クビになっても構わないという

覚悟で噛付いているので全く反省せず笑


じゃ①②ができたら何をするの?

③ 欲しい権利の的を絞る

あなたはどんな権利が欲しいのでしょうか?

給料を上げて欲しい?希望の部署に異動したい?まとまった休みが欲しい?昇格したい?

これら全部を一度に叶えるのは恐らく不可能です。

ドラゴンボールの神龍ですら3つしか願いを叶えられません。

僕らサラリーマンごときは1つでも叶えられれば万歳三唱ですね。


ということであなたが本当に願っている権利をしっかりと考えましょう。

きっとそれは今のあなたが最も困っていることを解決してくれる権利のハズ。


で、狙いを絞ったら即上司に相談しましょう。

共感されればすぐに権利を得られるでしょうが、問題は相談しても権利を得られない場合。


④  全面戦争を覚悟する

はい、交渉決裂 or 日和見主義で対応されたらこれしかありません。

平和的に解決できなかった場合、武力行使しかないのです。

僕は言葉も選ばず、ここまでの不満と自分の正当性を上司にぶつけました。

当然気まずいし、ギクシャクするし、こちらも左遷される可能性は十分あります。

けどどうせ優秀な自分なら、左遷された辞めればいいのよ!という気持ちでいます。

痛みを伴わずに権利を勝ち取れるほど世の中甘くないわね、

そりゃ痛みがなければベストだけど。


①②の準備は④に向けたリスクヘッジ、且つ少しでも

勝率を上げる作業だと思ってください。

自分が組織を去る or 権利を認めて留まらせる、のどちらが会社にとって有益であるかを

考えさせるための武器です。


<後 記>

こんなことせずに過ごせれば、当然そっちの方が幸せだと思います。

でももし、自分の権利を勝ち取りたいと本気で思っている人がいるなら、

人生すべて掛けて戦いましょう。

どうせ一度しかない人生、僕は思いっきり楽しんでみたい。

一会社員のわがままもこうやって大げさに考えると楽しくなるもんです。


バンコクから2泊3日の超弾丸旅行を実施。


バンコク⇒空港⇒シーギリヤ⇒コロンボ⇒ガル⇒空港の経路ですが、

1泊目は車中泊、2泊目をコロンボ。

バンコクからは1日1便、スリランカ行きの便があります(2016年時点)。

<1日目~2日目>

スリランカに到着後、即タクシーをチャーターし目当ての「シーギリヤロック (Sigiriya)」へ

直行。

*3年前の記憶なので曖昧ですが、確か空港から5~6時間くらい掛かった記憶あり。

「スリランカの方々、車の運転荒い!!!」

市街地を走っていると急ブレーキ・急発進が多く、感覚的にタイより運転荒いイメージ。

お願いしたドライバーがたまたまだったのかは不明。


で、到着した日は移動中に一晩明し、シーギリヤへ到着。

周りを赤土と生い茂った木々に覆われ、突如として眼前に現れる巨大な岩。

きっとこの遺跡(岩)を発見した人は、とんでもなく興奮したのだろう、と勝手に想像。

子供の頃、原っぱに作った秘密基地に似てる笑

5世紀頃、巨大な岩の上に王宮が建てられており、その下には貯水施設(壕)があったそう。

現在は当然、岩の上に王宮跡が残されているのみ。

頂上までは30分くらいで登れますが、途中急こう配の階段や不安定な足場があります。

あまり気になりませんでしたが、極度の高所恐怖症の方には少し怖いかも。。。

*道の途中、欧米のご婦人が怖くて大号泣していました、旦那さんも我々も思わず苦笑


岩の中腹ではサルの親子と遺跡を覆う一面の森を見ながら休憩。

頂上には当時の王宮跡と、歩いて火照った体を冷やしてくれる

涼しい朝の風が流れていました。


シーギリヤを離れた後は、首都コロンボへ直行。

時間に余裕のある方は空港⇒コロンボ(宿取っておく)⇒シーギリヤをお勧めします

この日は体力的に限界が近く、コロンボ到着後にホテルへ入り夕食を摂って終了。

<3日目>

この日は元々何の予定も立てておらず朝はコロンボの町を散策。

日中はやることもなくフライトまで時間があるので

スリランカ南部のガル(Galle)という街へ。

この街は16世紀~18世紀にヨーロッパ各国の植民地時代を経験しており、

街自体が要塞化されています。

行った後で知りましたがが世界遺産にも登録されています。


ヨーロッパとアジアの文化が混じりあっている、というよりも

ヨーロッパとアジアの文化がぶつかり合うことなく併存している、そんな雰囲気を持った

不思議な場所で、時間が許すならばもっと長く滞在したかった。

<後 記>

スリランカの人々は穏やかで紳士的。

おそらく国民の殆どが仏教徒なのが影響しているのかと。

インドから限りなく近い場所にありながら、

インドとは大きく異なる文化を持った国。

*インドについていずれ記事を更新します。


決して大きくない国土の中、北部・中央部・南部で大きく風土が異なっており

どこか日本に似た文化構成を持っている感じがした。

湾岸部では2004年に発生したスマトラ沖地震による、津波の爪痕が生々しく残っていた。

そして失われた人々、家々、そして自然を偲びながら話をしてくれたオジサンが

何故か心に残っている。

2019年の2月にネパールに向かいました。


バンコク⇒ デリー(トランジット) ⇒カトマンズ ⇒ ポカラ⇒ カトマンズ ⇒ バンコクの

旅程を3泊4日で多少弾丸気味に実施。

旅の発端は「ヒマラヤ、見に行きたくない?」と同僚と話したことがきっかけ。

旅行先を探していると「ヒマラヤほどの~♪」と懐かしい音楽がお店に流れ始め、

これは神の思し召しということで決定!



<1日目>

バンコク夜発⇒カトマンズ朝着の為、デリーでは空港内でひたすら爆睡。


<2日目>

カトマンズ到着後は即、ポカラに向けて国内フライトで移動。

移動手段はタクシー / 長距離バス / 国内フライトとあったようですが、

時間が限られていたんのでフライト一択。

久々のプロペラ機!!

ちなみに各移動手段の所要時間はこの通り。

タクシー:8時間 / 長距離バス:10時間?? / フライト :45分


ポカラ到着後はまずレイクサイドを散策。

ヒマラヤ山脈の入り口とのことで至る所に登山関係の店があり、

アウトドア好きの人には堪らんだろうなという雰囲気。

湖畔のレストランで昼食を摂ったところで宿探し開始。


麓町からじゃヒマラヤが見れん、ということで標高の高い地点でゲストハウスを確保。

これが宿泊地周辺、標高高い!ここで標高1,200mとのことですが車で来られます。

宿代は1,000円前後。

標高が高く、水は低地へ汲みに行っているとのこと。

ゲストハウスにある個室のような部屋ですが、眺めは絶景だしお母さんはいい人だし、

空気は美味しいし、個人的にはかなり気に入りました。

<宿情報>

The Superview Lodge

まずは夕日をと思い、ヒマラヤを見に行きましたが残念ながら雲が多くてこの日は全景を

捉えられず。

止む無く犬と戯れることに、犬めっちゃかわええ。。。

<3日目>

翌朝は雲が晴れることを信じて5:30起床で再度、展望台へ。

宿泊先にはゲストハウスが多数あり、展望台も階段を上がって5分くらいなので

アクセスは楽チンです。

地元のおっちゃん曰く、「お前ら超Luckyだぜ!」というくらい

雲一つないパノラマに出会えました。

あまりの迫力に「すげぇ」としか言葉が出ず、ひたすらに感動。

当初時間がないのでカトマンズ周辺からヒマラヤを拝もうと思ってましたが、

思い切ってポカラに来てよかった~~。

ヒマラヤの息を呑む風景、神聖な気持ち、写真じゃ10分の1も伝わらない。

僕の知っている言葉で、この風景を形容するにはあまりに稚拙で適切ではないけれど

「全てを忘れて、ただ風景のみに没入する」そんな景色でした。

そのあとは宿に戻りがてら、他の宿のおじさんから誘われてヒマラヤコーヒーで朝食を。

そのあとは少し部屋でゆっくりした後、カトマンズに向けて出発。


カトマンズはあまり観光しませんでしたが1つだけ紹介。

パシュパティナート(Pashupatinath)

ネパールの国教はヒンドゥー教で、国外にいるネパール人も遺体を運んで、

ここで火葬されるらしいです。

人の体は「地・火・水・風・空」から出来ていて、死ぬと体はまた自然に還ってゆく。

だから死者は聖なる川で洗い、生前の罪を洗い流した後に火葬されてゆくんだそうです。

ネパールは多民族国家で、地域によってこの死生観は異なるとのこと。


この日はカトマンズで一泊して翌日バンコクへ戻りました。


<後記>

この国は死生観だけでなく住んでいる環境、生活そのものが自然と強く結びついていて、

北部は神秘的な連山が余計にその雰囲気を強めている気がしました。

都市部も、山岳部も皆素朴な人たちで、ホスピテリティに溢れていて素敵な国だと感じる。

日本人はあまり見かけなかったし、山岳部は観光地化されていたけど、自然を残しながら

しっかりと観光業と両生しているように思う。

願わくば、この風景・地元の人々がいつまでも今と変わらぬまま残されて欲しい

こんにちは。

2019年の年明けはバガンで朝日を眺めていました。

バガン遺跡は世界三大仏塔にも数えられる、壮大な仏塔群。

遺跡それ自体はアンコールワット(カンボジア)程の迫力、文化的興味を

そそる記録がありません。


それでも1月1日をバガンで迎えたかったのはこの風景が見たかったから。

2018年までは仏塔(パゴダ)に登り朝日を拝めたらしいですが、

2019年にはどの仏塔も柵が設けられてており、登れなくなっていました。

バガンに入る前は"Bulethi"という仏塔に向かうつもりでしたが、はやり柵ができていました・・・。

電気バイクに跨って途方に暮れていましたが、現地のおっさんに

「穴場に連れてってやる」と声を掛けられ、チップを渡してついていくことに!!

ここで注意ですが、バガンの道を少し横に逸れると未舗装且つ、轍が深いのでタイヤを取られます。

※僕は2回くらい横転しました笑


なんとかたどり着いた遺跡(仏塔ではない)の上では西洋人が数人いるだけ。

時間が経ち、日の出が近づくにつれて日本人・韓国人・中国人・地元の人が

増えてきましたが、これまでの自分・今日からの自分について自問自答するには十分すぎるくらいの静寂を味わえます。


2019年の初日の出は、人生で最も優美な朝日で、願わくば同じ風景をもう一度と思わせる朝日でした。

いつか気球に乗って朝日を眺めたいので、必ずまた訪れます。

最後に今回朝日を見たShwe nan Yin Tawについて場所と目印を紹介しておきます。

結局今年は初投稿しかできませんでしたが、大晦日の今日は投稿します。

今年も一年間があっという間に過ぎてしまい、やりたいことの半分も出来ずに

終わってしまいました。

今年、僕が最もやりたかったことは

「工場全体の意識改革」です。

タイのとある工場で課長として仕事をしていますが

- 中間管理職として上役の意識を変える

- 課員の意識を変える

- 自部署を強い組織にして、周辺部署の意識を変える

ざっくり言うと上の3つが僕の最もやりたかったこと。


①上役の意識を変える

 上役の皆さんと話しているときによく耳にするのが

 「この仕事はタイ人にまだ任せられない」という言葉です。

 私が疑問に思うのは「何を以ってそう判断しているのか」です。

 タイ人は決して能力が低いわけではなく、「上位方針がタイ人に伝わっていない」

 だけだと考えます。

 我々は「タイで仕事をしている、させてもらっている」という気持ちを常に持つ必要が

 あります。

 つまり「日本人組織からの脱却」が我々の至上命題だと位置付けるべきで、

 本来僕のような中間管理職など悪影響でしかないのです。

 上役自らローカルスタッフに語り掛ける、思いを伝えることが必要であり

 私の存在価値はせいぜい「思いを浸透させる為に価値観の土壌を作ること」だけ。

 僕の会社では未だ、【日本人だけの会議】【日本人だけに指示が出る】という場面が

 多々あり、上役の方々から「日本人だけで情報共有するな!」という指摘が出るように

 仕向けることが私のやりたいことでした。

 

②課員の意識を変える

 先ほど話をした「価値観の土壌を作ること」がこれに当たります。

 海外工場の立ち上げにおいて「ローカルスタッフの能力・知識を高めること」は必須で、

 ここに目が行きがちですが、幸運にも私の課はこの段階を既に達成しています。

 *具体的には私の作る生産計画と遜色ない計画がタイ人から報告される、等

 私の経験では本当に難しいのはこの次、「価値観を擦り合わせる」段階です。

 例えば日本の職場でありがちな「形式に拘る」とか、「事前の根回しとして報告する」

 なんてことをタイ人に理解して実践してもらうことです。

 私は仕事を円滑に進める、最終的な工数を減らすために根回しは必要だと考えているし、

 これを否定するつもりはありません。

 よく「タイ人は時間にルーズだ」なんていう人がいますが、正にその通りだと思います。

 一方、タイ人は「報告会に遅れる人がいるなら他から始めればいいのに、

 何故全員揃うまで報告が始まらないの」なんて質問が来ます。

 我々は違う国で生まれて、違う国で育っているので価値観が違うのは当たり前です。

 これを乗り越える為には地道に「日本人が何を考えて、何を理由に」という根拠、

 大げさに言えば国民性を話して理解してもらうことが必要です。

 これ自体は難しくないのですが、本当に難しいのは「価値観の共有が押し付け」に

 なってしまう危険があること。

 当然我々はタイという国で事業を展開し、タイ人が主役になる訳ですから

 彼らがどうしても納得できない点は歩み寄るべきなのです。

 これに対して残念なことに「どうせタイ人はルーズだから」と諦める人がいるのが事実。

 *ここは別の機会に日本人の無意識な差別意識について話します。

 私たちはタイという国で将来の夢を育てて、タイ人に思いを託すリレーをしています。

 このリレーの第一走者が相互理解の匙を投げてしまっては、どれだけ第二走者が優秀でも

 レースには勝てません。

 2017年から実施していますが、私の課では「週一の勉強会」(Off JT)を開いています。

 そこでは業務知識も勿論「この会社の価値観は何たるや」「日本人のマインドは如何」、

 という話をしています。

 *仮に課員が転職しても、彼らの糧になると信じて始めました。

 そういう意味でここは今年、手応えを感じられた内容でした。


③周辺部署の意識を変える

 ここは正に生産管理の真髄だと私は思います。

 工場に留まらず、販売・調達・製造・会計・人事など様々な部署から情報を収集して

 俯瞰的に見渡す司令塔だからこそ「今がその時」という緊張感や、

 「我々はこうあるべき」という計画や将来図を周囲に認識させることができます。

 少し青臭いですが「我々の計画に思いを乗せて、思いの力で周囲を動かす」ことが

 できる部署です。

 そのためには計画の見せ方、話し方、語る言葉の種類などを吟味していく能力が

 問われます。

 「常に二階級上の人間に納得させ、動いてもらう人間になれ」という教えを

 新入社員時代にもらい、正にその通りだと思います。

 *この文章の通り、私の言葉では同位の人も動かせないレベルですが。

 常に課員の一人一人が一職場を統括・牽引できるリーダーになって欲しいというのが

 私の思いです。

 そういう意味で、①の現状がある以上まだまだ達成できていない課題です。


 ダラダラと書きましたが、

 「タイ人に対する尊敬と、妥協しない意思」が我々駐在員に求められる最低条件だと

 いうことです。


 ミャンマーの片隅で、独り大晦日に徒然なまま今年を振り返ってみました。

 明日は長年憧れていた朝日を見に早起きしないと。


2012年に日系メーカーへ入社して、7年が経とうとしています。

合併、海外転勤、昇進など自分なりに色々なことを経験してきて

半人前なりに仕事の本質や業界に関する知識も付いてきたと実感し始めた頃。


「自分は会社がなくなったら1人で生きていけるのか」

「私個人が世の中に価値あるサービスを提供できるのか」

こんな不安に駆られることが増えてきました。

この不安をかき消すように、より迅速に・より精緻に・より自発的に、

とにかく自分の責務を全うしようと邁進したこの1年。


一度芽生えた不安は日常の繰り返しの中で決して消せない、と痛感しました。

仕事をすればする程、限られた世界で評価は上がるし、自分でも実感します。

でもその評価、地位に甘んじてしまう自分。

今の評価と地位を失ってしまう恐怖を持っている自分に気付かされる。


今の自分には、一人の人間として何ができるのか。

これからの自分を成長させるべきなのか。

毎日自問できるように、自問できるきっかけになるようにこのページを作りました。


少し話がそれましたが、私が「今の組織を離れた自分」を意識し始めた理由は何処にあるか。

自分なりに考えた結果、

■同年代入社の友人が次々いなくなったこと

■自分の友人が、よりクリエイティブな私生活を送り情報を発信していること

■私が今後歩むであろうキャリアパスが朧気ながら、描けてしまったこと

■私の年齢が「若い」と言ってられない年齢になったこと

これらにあるのか、という答えに至りました。

4つ目は個人によって違うかもしれません、ただ私は30代を目前に迎え焦っている訳。


日々の仕事に疲れて休日は泥のように眠り、たまに旅行して、また仕事に向かう。

たぶん高校・大学時代の自分はこんな大人に憧れていなかっただろうし、なりたくない。

だから自分の持てる知識や、これから迎える経験を少しでも発信していきたいと思います。